横浜 中華街が最強じゃないかと思えてきました

Conclusion

一七九三年に発生したフィラデルフィアでの荒廃的な大流行では、わずか四か月の問に四000人、人口の一0分の-1を超える死者が出たのである.黄熱の広がり方は謎であった。 この病気は人から人へ直接うつるようにも、また食物や飲料水を汚染しているようにも見えなかったが、病気に襲われた町から逃れてくる人々によって、ひとつの社会集団から他の集団へと運ばれることがたびたびであった。
港での病気の出現は船の訪問としばしば時期が一致したので、船を隔離状態に置いたけれども、病気が町へ広がるのを防ぐことはできなかった。 感染した人たちから細菌はまったく発見されなかった。
こうしたさまざまな混乱を経た結果、黄熱は絶対に伝染病ではないと信じる者まで現れたのである。 一九00年、アメリカ陸軍は合衆国黄熱委員会を発足させ、陸軍医学校の細菌学教授W・Rを長とする四人のアメリカ人医師グループが、この殺人病を調査するためにハバナに向かった。
彼らは力が病気を広めるのかどうかを見るために志願者たちに実験を実施したが、グループのうちの三人が人間モルモットになることを申し出た。 彼らは黄熱病ウイルスが力によって広がることを最終的に確信するに至ったが、それはグループのうちの二人、J・K(もとRの実験助手)とJ・R(J・H医学校の臨床研究室長)が病気にかかってからのことであった。
Kは重態になったが、最後に回復した。 一方、Rは悲劇的な死を遂げた。
力が病気を媒介するという考えは当時まったく新しく、初めは笑いものにされた。 しかしながら、さらに多くの志願者によるいっそう注意深い対照実験のあとでは、予防措置を組織的に開始することに多くの人々が納得した。
一九0一年に、アメリカ陸軍のW・G少佐のチームは、力の繁殖地を除去することによって、ハバナから力を撲滅する仕事に着手した。 彼らはよどんだ水をすべて排水するか、その表面を油で覆うかして、この都市における黄熱の制御に成功した。

最後に、ワクチンが一九三七年に開発され、それ以来黄熱の大発生は抑えられたのである。 アフリカと南アメリカの降雨林にすむサルは、彼らの血液のなかに黄熱病ウイルスを保有することによって、その貯蔵庫の役をつとめる。
しかしながら、彼らサルは健康であり、完全に活動的なままである。 おそらく長年の間に、彼らの体は感染に慣れてしまったのであろう。
いったん黄熱病ウイルスを保有するサルから血を吸えば、雌の力は、相手がヒトかサルかに関係なく、次の犠牲者にそのウイルスを注入する。

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